モダンコンピューティングの歴史

モダン・コンピューティングの歴史

モダン・コンピューティングの歴史

歳のわりにコンピュータ業界の昔話に妙に詳しくて古い話を持ち出しては若い子を煙に巻くのが大好きな私としては、大いに食い付いた本だった。
内容としては電子式コンピュータの誕生からインターネット普及期ぐらいまでの範囲。メインフレームからミニコンピュータへ、更にはマイクロプロセッサの誕生からPCの時代へというコンピュータの形態や技術的推移を概観している。
技術中心というよりはマーケット的視点で、どういった製品が出てきたのかという話が中心になっているように思えた。もちろんコンピュータなのでその製品にどういうった技術が新しく導入されたかという解説は都度行なわれているのだが、そちらは軽い解説だった。このぐらいの重さなら本職のエンジニアでなくとも苦なく読めるのではないだろうか。
本書を読んで思うのはコンピュータの中心的話題がどんどん枝葉末節の技術に移っていったのだと実感させれらた。かつては構成素子が真空管トランジスタかというところから始まり、記憶素子には水銀遅延線磁気ドラムコアメモリかという技術が併存していた時代もあったのだ。昔の話を多少知っているといっても所詮はPC以降の時代しか知らない私などからすると、主記憶がDRAMではないというだけで既に想像の埒外である。コアメモリだけは辛うじて現在のフラッシュに近いアナロジーで想像できそうだが、それ以外は想像すら難しい。言ってみれば現代の自動車修理工が、車輪のない車を見せられたようなものだ。
時代は下り演算素子がトランジスターが一般化した後はIC、LSIと高密度化していったのは周知の通り。DRAMが登場が思っていたよりずっと後だったぐらいだろう、コアメモリが比較的最近まで使われていたのだと認識を新たにさせられた。
メインフレーム時代にはワード長なども36bitとか24bitなどモデルごとに2のべき乗ではないアーキテクチャが普通にあった。もちろん、マイクロプロセッサなんてもちろん無いのでラインナップが新たに作られるたびに、CPUに相当する部分は新規作成だったわけだ。今みたいに吊るしで売っているコンピュータを買ってきて電源繋いで即使えるとは別次元の世界だろう。上から下まで新規設計するような事をしていれば、箱を買えば人が付いてきて、常時その人が面倒を見るようなご大層な代物になったのも頷ける。
その後マイクロプロセッサの時代になりCPUは市販品を買ってくれば調達できるようになり、PC時代移行はアーキテクチャも決め打ちでOSさえもほぼ一択という風潮になってしまった。一から都度作る必要がないのでより高度な利用が可能になったのだと言えば聞こえはいいけど、ようするに進化の隘路にはまり込んでいるのではないかという気がしてくる。今のコンピュータはあまりにも進歩に対する遊びが少ないというか、過剰適応しているように思える。進化の実験場は確保できているだろうか。
メーカがどのような製品を出していったかが軸になっているので、当然メーカごとの特色が新たになったというのも印象深い。最も印象が変ったのはDECだ。私にとってDECは最初に知ったときには既に大型のコンピュータを売る会社というイメージしかなく、やや尖った製品を出すがいずれも高価で、言ってみれば守旧派という印象だった。しかし、本書で描かれるDEC黎明期のPDP-8の革新性やコンピュータの開放者としての側面は全く未知のものだった。そのDECも結果的にはPCなどより小型のプラットフォームへの移行に押し流され買収されてしまったわけなのだが。また本書では、全く言及されなかったがDEC Alphaの歴史的意義についても再考させられた。
PC時代のMS-DOSの少し前ぐらいからはリアルタイムで知っているのだが、逆にこの時代については言及しなかった事柄が気になった。8bit時代におけるZ80とか6809系統の戦いとか、68000搭載機の悲運など残すべき話はあると思うのだけど。まあ、一冊の本でコンピュータ史を概観するとなると省略せざるを得ない部分が多いのは確かなのだが。
日本市場については少し触れるという話があったのだけど、結局最後までほとんど記述はなかった。唯一4004開発の絡みで島さんの名前が出たぐらいか。
訳者の人はコンピュータ畑の人ではないようで、computerを"コンピューター"と書いたり*1、原著でもそうなのだろうがXをX Windowsと書いていたりと表記上であれ?と思うところ*2もあった。

*1:理由はJISと長音でググって下さい

*2:理由はmanでX(7)をひくか、手近で最もウルサそうなUNIX使いに聞いて下さい