ゲド戦記(ネタバレ)

久しぶりに、エンドロールが終って不覚にも涙がこみ上げてきた。
事前に耳にしていた通り、完全に素人が作った映画だった。クソ映画には違いないのだけど、背景の事情を察するにムカツクというよりは大変だったんだろうなという感情が湧いてきて、皮肉ではなく泣きそうになった。考えてもみて欲しい、親が超有名な監督でその跡を継ぐ形で現場経験が無いままにいきなり監督を任された息子にしてみれば必死になって作った作品だろう。
事前に読んでいた原作からして、一本の映画にするのは厳しいと思っていたが、実際かなり話が飛ぶし唐突な展開ばかりで話としては酷い。まっとうな監督や脚本家ならば、映画自体を複数本構成にするかバッサリとエピソードを切って(「影との戦い」だけとか)まとまりのある話にするだろう。しかし監督未経験の宮崎吾朗氏には加減が出来なかったのだろう、ほぼ全巻のエピソードを盛り込もうと様々な断片を終始ちりばめていた、もちろん説明などせずに。おまけに少しでも娯楽要素を出そうとしたのだろう、原作にはないテルーとアレンのboy meets girl的なエピソードを頑張って入れてみたり、恐らく自身の境遇をネタとして笑ってもらおうとしたのだろう冒頭の無理矢理な親殺しのエピソードを入れてみたりと必死のサービス精神がその連続性に乏しいシーンの隙間から滲み出ている。吾朗氏が公開前に押井監督の立喰師列伝をエンターテイメント性が足りないという批判をしたそうだが、まったくその通りである。ファンの目から観ても押井監督はビューティフルドリーマ以来作品を追うごとにサービス精神が急速に縮小しているように見える。ど素人の監督が自身をネタにまでしてウケを狙っているのにである!
閑話休題。ネット上で見掛けた本作への批判のなかにはスケールが小さいというのがあった。確かに、ベースとなったであろう原作三巻の「さいはての島へ」はゲドとアレンがアースシーの島々を旅する広大なスケールの話が描かれる。一方、映画の方でははてみ丸は冒頭のシーンで数カット出てくるのみでその後は全く出てこない(宣材の絵にはてみ丸が載っていたので、すっかり騙された)。その後も船に乗るシーン自体が以降出てこないので、実は終始同じ一つの島での話なのかも。野宿のカットもアレンを救出した後のものだけのようだし、時間経過を表すカットはあったものの街へはあっという間に着いたように見えた。街とテナーの家との距離も、家から街で用を済ませ夕方には帰ってくる予定だったことから見て非常に近そう(馬で3、4時間ぐらい?)。本来空間的な制約条件が緩いアニメーションでこれほど狭さを感じさせる作品も珍しいように思う。まるで数セットしか作ることが出来なかった低予算映画を観ているようだ。
他にも時間の経過が全般的に変だ。テルーが子供の足で直にクモの城に着いたり(これは影の仕業?)、縛めを解かれた後アレンがかなりの距離を走っているのに全く動かないテナーとゲドとか、竜が飛んで移動したのにあっという間に歩いて追いつくゲドとかつっこみどころ満載。コンテを切る段階で場面全体の登場人物と時間経過をプロットしていけば、あれコイツ動いてないなとか気付きそうなものだが。
予備知識なく素人監督の作品を金を払って見せられた方は本当に残念としか言いようが無いけど、事前情報を少しでも目にしていたのならこの程度は十分に予想できただろうし、自業自得じゃないかな。
最後に言いたいのは宮崎吾朗監督に言いたいのは「これっきりにしてくれ」という事。いくら素人とはいえ、これが許されのは今回限りだと思って欲しい。