信者フィルタって怖いな

と思った記事
アップルは何を切り捨て、何を取り入れてきたか?
ジョブズの復帰以降は主流だったものを切り捨ててきたとあるけど、そうでもないだろうというツッコミ

FD(フロッピーディスク)からCDへ

貶しモードで入りそうなところだけど、iMacは成功だったと思う。当時ジリ貧だったAppleだからこそできた、当時としては思い切った設計だったし世間的にもインパクトがあった。
FDを廃止したことが画期的とあるけど、結局当時のMacユーザの多くは本体と揃いのトランスルーセントのUSB-FDドライブを買っていた。PCが最近までFDを廃止できなかったよりはかなり潔い決断だったと思うが、失うものがなかったAppleならではの戦術だった。
トランスルーセント時代のiMacと言えば現在も再現されようとしている強引な販売戦略や、当時としてもかなり曲率の高い安物のCRTを使っていることや、デザイン重視でかなり使い難かった円形のマウスを思い出す。

ADB・SCSIからUSB・FireWire

SCSIから移行したと言うが、old Macで最後までSCSIにしがみついて居たのは他ならぬAppleだった。PCはと言えばはるか以前にEIDEを中心としたストレージに移行していたし、高くて取り回しの大変でコネクタも独特なパラレルSCSIに取り残されていたのはMacだけだった。
iMacがUSBを全面採用したと言っても結局USBが市場として立ち上がったのはその直後に発売され普及したWindows98以降だ。
当時の目論みとしては低速系ペリフェラルはUSBで、高速なインターフェイスとしてはFireWireを使う事で住み分けを考えていたようだったが、後述の通りFireWireは結局立ち上げに失敗した。AppleがUSBに譲歩したとあるが、むしろパテント面ではFireWireからのライセンス収入を当てこんでいた面があったのでそれは空振りに終ったと言える。
ブコメでも散々指摘されているが、当時レガシーフリーを目指したコンピュータに98NXがあった。時期としてはこちらの方がやや早い。NECも当時PC/AT互換機に押されてシェアを減らしている時期で、PC/AT互換機への移行は秒読みと言われていた中での発表だった。実態としては汎用品のPC互換機のパーツを使ってロゴやBIOSの日本語化をしただけというお粗末なものだったのでiMacと比べようもない。Appleは当時はPowerPCであったため汎用品を使えないというハンデがあったにせよ、バックパネルでPS/2ポートを塞いだだけでレガシーフリーをうたった98NXよりは遥かに進んだデザインだった。

FireWireからUSB2.0

FireWire(IEEE1394)に最後まで残されたのもMacだ。PCでは結局搭載モデルも一部に限られ、なによりWindowsでの実装のやる気の無さも手伝ってマイナーなインターフェイスに終わってしまった。

FireWire400は搭載されず、FireWire800とUSB2.0のみになった。

とあるが、FireWire800は後継規格なのでFireWire400を捨てたという表現はおかしいだろう。現行のPCは全ポートUSB2.0というモデルがほとんどだと思うが、これにUSB1.1を全廃したという表現を使うだろうか。
もはやマイナーなインターフェイスになってしまったにも関わらず後継インターフェイスを一部のモデルで搭載を続けている現状をして「自らの意志であっさり捨て去っている」とは普通言わない

OS9からOSX

これもClassic Mac OSをあっさり捨てたというより、ようやく現代的なOSへ辿りついたと言うべきだろう。それを求められてのAppleへの復帰なのである意味当然なのだが、OSXに至るまでのゴタゴタは「あっさり捨てた」というよりは妥協の連続だった。新しいモダンな動作環境となるYellowBoxは一時はWindowsへの移植をしてクロスプラットフォーム化の構想までぶち上げていたけど、結局全体の方針転換でOS X Serverにその面影を残すのみだ。
個人的にはMacOS Xは比較的穏当な着地点だったと思うが、20年戦える新しいプラットフォームとして十分かと言われれば微妙なところ。やはりこの分野ではMicrosoftが一歩先に進んでいると思っている。参照

PowerPCからIntel

前日まで「IntelのCPUを搭載したPCよりもN倍速い」と宣伝していたのが、発表翌日から「旧モデルのM倍速い」という宣伝に切り替わったのは疑問に感じないのだろうか。結局、アーキテクチャの優劣ではなく製造設備にかけられる投資額が性能を決める要因であるという半導体業界の法則に抗い切れなかっただけとしか捉えられない。
近代的OSでCPUアーキテクチャ間でのソースコードコンパチビリティがあるというのは常識の範疇だろう。WindowsもNTの頃は多くのアーキテクチャで稼動していたし、Linuxは今でも多くのアーキテクチャでほぼ同じソースコードから生成したバイナリが稼動している。ARMで動いているUbuntux86で動いているUbuntuではそれこそ、unameを見るまでは動きから判断できるほど差はない。
ソースコードを再ビルドするだけで」というのは典型的なマーケティング上の宣伝文句であるのは、ちょっとでもコードを記述したことのある人間なら上手く行かない事も多いのを周知のことだろう。それほどまでに簡単に移行が可能なのであったら、OS標準のアプリが最近(10.4ぐらい)まで一部Rosettaで動くものが残っていたのは何故だろう。
iPhoneの開発規約がCPUアキーテクチャ独立を保証するものだとあるが、許される言語の中にCが入っているのは質の悪いジョークだ。将来iPhoneかその後継のデバイスでCPUアーキテクチャを変更する可能性は大いにあると思うが、そのときにくり返されるだろう「再ビルドするだけで」という宣伝は真に受けない方がいい。

有線から無線へ

非常にマイナーなADCをポジティブに捉えている人が居て驚いた。その素晴しいADCは現行のモデルでも使い続けているのだろうか。もちろんAppleの素晴しい哲学に基いた規格なので、と思い現行のMac Proのスペックを見に行ったがなんとMini DisplayPortを使っていた!
私の使っているMacBookMini-DVIというディスプレイ出力を持っているのだが、古いMacBook Proのモデルでは標準のDVIを使っていたし、MacBook AirではMicro-DVIという短命な形式を使っていた。現行ではMini-DisplayPortに収束しつつあるが、今までの多彩なインターフェイスを「あっさり捨てた」と評価できるだろうか。むしろ単に一貫性がなかっただけではないだろうか。
現行モデルにBluetoothと802.11シリーズの無線を搭載し、それがOSを綺麗に統合されているのはその通りだと思う。WindowsはPCというヘテロな環境で動くという難しさを差し引いてもBluetooth周りの実装はイマイチだ

光学式ドライブ・プリンタから携帯端末へ

光学ドライブがデータの最終保存先としてはもはや不適で、バックアップはTimeCapsuleのようなネットワーク経由のD2Dバックアップの方が合理的だというのはその通りだと思う。Blu-rayの搭載へ否定的なのは本当に光学ドライブを廃止の方向なのか、単に準備が出来ていないか微妙なところだが。
PCにおいてはサブノートクラスを中心に光学ドライブを標準で非搭載にして久しいが、実際に光学ドライブを廃止するとこまで行なったのはMacBook Airのみなのは残念だ。インストールメディアの問題さえクリアすれば光学ドライブを搭載しない事を主力機にまで広げることは可能なはず。PCでOSのインストールメディアまで変更することが一社のみで可能なのは唯一Appleのみなので、スマートな方法で解決して欲しい。ネットブック向けにWindows7をUSB供給するという噂もあったので、このままだと後手にまわってしまいかねない
個人的感覚だと「未だに」光学ドライブを捨て切れていないと思っている。

まとめ

飽きた。全般的に信者フィルタを通すと、窮余の策も積極的な決断も一緒くたに戦略的に行なった素晴しい選択になるのか。