自由なコンピュータと安全なコンピュータ

ちょっと前の日記だけどあまり世間では懸念されていなそうな点について、歴戦のハッカーと若きハッカーが同じようなところを見ていたが面白かった。

もう夜警国家的なコンピュータは人々に必要とされていない。人々は進んで檻に入りたがっている。一般的なPCも安全なDRMを備えるようになると考えられる。

もっとも、これは中国のような大きな市場がそれを必要とするかどうかに掛かっている。この方針の違いはもっと大きな問題を起こすかも知れない。

http://d.hatena.ne.jp/mjt/20091231/p2

ukaiさんの「自由なプラットフォーム」に対する危機感というのは個人的に強く共感したのだけど、会場ではいまひとつ賛同を得られなかったようだ。もしそうなっても安泰であろうLinux陣営の人からこういう意見がでるのは興味深い。

http://d.hatena.ne.jp/futsu-9/20071103/p1

下はこれだけだと文脈が分かり難いが、LinuxFreeBSDOpenSolarisのいわゆるコミュニティベースのUNIX眷属の歴史と近況についてのパネルディスカッションの最後で、今後の課題という話題を振られたときにLinuxの代表としてプレゼンした鵜飼さんが懸念事項として自由にハックできる環境が無くなっていくのではないかというのを挙げたという話。会場では本人よりもやや上の年齢層の方が多かったのだが、その時の反応では「そんなことが?」「今までだってそんな障害を乗り越えてきたし問題ないよ」という空気だった。個人的には汎用コンピュータすらセラミックパッケージの背中を削ってボンディングワイヤにプローブを繋がないと任意のメモリアドレスを読めないというのは悪夢だとおもったのだが。
仮想化が流行り始めのころにIntelMicrosoftが搭載しようとしていた「安全なコンピューティングに必要な機能」は実際にはそれほど採用されなかったけど、中期的には普及していくのだろうな。