携帯とPCと

モダン・コンピューティングの歴史を読んで以来、特に計算機業界の動向についてコンピュータ史的観点から興味を持つようになった。
件の本は色々と示唆的なのだが、全般的に言えることはコンピュータ史というのは「より小さくて台数の多く出るプラットフォームに移行してきた」歴史なのだな、と再認識した。
専用システム、大型計算機からミニコン、WS、PCとメインストリームが経てきたわけだけど、いずれもこのルールに沿った変化だったと思う。
この法則が今後も有効であるとすれば、当然次のプラットフォームはPCよりも小さくて台数の出る形をしているはずである。もちろん、それは携帯電話なのだろう。
90年代ごろから携帯電話は急速にPCの辿った進化の過程をなぞって高機能化しているのは周知の事実。元来の機器としての性格上全てがネットワークリーチャブルだったり、開発環境が自前でなかったりという差異はあるものの、ほぼ相似といっても過言ではないだろう。
PCに比べて部分的にはまだ劣っていたり、進んでいたりするものがあるにせよプラットフォームの歴史としてはまだまだ若くて流動的なので、PC史における80年代半ばぐらいだろうと思っている。丁度、初代Macintoshが出て、IBM PCにも互換機が出始めた頃だ。
携帯電話におけるIBM PCのような標準と言えば、今ならもちろんAndroidだろう。Googleも意図的にIBM PCの普及の過程を辿っているように見える。仕様を無償公開して参入障壁を下げつつ、プラットフォームとして確固たる地位を築きたいという意向が見える。今の勢いのGoogleならば確かにプラットフォームとして確立できるような気がしないでもないが、自身でハードウェアビジネスに参入せずその上で提供するサービスだけで利益を出そうという姿勢はやや腰が引けているようにも思える。IBM PCのように成功するか、MSXのような結果になるか。構図としてはむしろ後者に近いというのが気になるところである。
その他の有力プレーヤであるAppleと言えばMacと同じく我が道を行くとばかりに、iPhoneで独自の世界を作っている。Macのときと違い製品化で先行しているし、囲い込みは上手くいっているようなので当時のMacよりはよい状況であると感じる。
Androidが本格的に立ち上がってくると、単純なハードウェアスペックや機種のバリエーション、価格といった面でiPhoneを圧倒するのではないだろうか。対抗する側としては統一された世界観や完成度の高さだろう。やはりPCとMacの歴史を繰り返すのか。最終的な勝敗を決するのは、やはりソフトウェアのラインナップなのだろう。VisiCalcのように趨勢を決定付けるソフトが出てもその後移植や後発が続くこともあるので、ここでもやはり物量が勝敗を決めるのかも。
ようするに私のコンピュータ史観(笑)としてはAndroidが勝ちそうに思うので、どうせなら勝馬に乗りたい。けど、現行のAndroid端末はどれも心動かされない。そうこうしているうちに、iPhoneが着々と数を伸ばしているので心静かには居られないのです。しっかりしやがれ、Android端末を作っている会社。あー、あと、本当に買いそうだから背中は押してもらわなくて結構です:-)